近況報告
確定やらなんやら忙しくしていたら気づけばもう25日。
今さらペンギングッズを紹介してもすぐ来月なので、お正月に書こうと思っていた私の近況を長々と綴ってみます。
とにかく長いです。
尚、これに関してコメントはなしにしてくださいね。
当たり前に自分でも言っていた一言が結構頭に来たりするという事を始めて知りました。
今でもかけて欲しい言葉はなんなのかわかりません。難しいものです。
私の父が小脳梗塞で一昨年の10月倒れました。
最初は耳が聞こえづらいだけで声も出ていたのですが、どんどん声も出なくなって次の日には口から下が全て動かなくなりました。
いままで父は、脳梗塞・心筋梗塞や糖尿病といろいろな病気をこなしてきたのですが、それでもいつも復活して一緒に旅行に行ったり飲んだりしていたのです。
今回も元に戻るのではないかと期待をしていたのですが、期待むなしくとうとう寝たきりになってしまいました。
倒れた当初は某港区にある有名病院に入院していました。
父は心臓と糖尿をこちらの病院にかかっていたので運んでもらったらしいのですが、大きくて評判の良い病院だからといって対応がいいとは必ずしも言えないものですね。
ただ、どこの病院でも対応は同じだったと思います。
なぜなら好転する見込みがなく、居座られてもお金が取れない、病状的に厄介な患者だったからでしょう。
病状が不安定の状態で追い出しにかかられました。
あまり急がなくてもいいと言いつつ看護婦には2、3日毎につめよられ、ひどい言いように私は何度も泣きました。
まぁとてもいい看護婦さんもいたから人によりけりなのかなとは思いますけれどね。
某港区にある病院の愚痴はさておき、父の今後は決まっていました。
姉が仕事を辞めて私の家の近所に引っ越して父を看ると言ってくれていたのです。
しかし全てが初体験で、介護法を教えてもらわなければ家に連れて帰って来られる状況ではありませんでした。
そこで介護を教えてくれる転院先を見つける事にしました。私は病院に関して情報がないので、入院している先のソーシャルワーカーさんにリストアップされた場所を一つ一つ頭を下げてお願いしに行くのですが、父の病状が重いせいか、何件回ってもいい返事はもらえませんでした。当時は心底、途方にくれました。
いただいた情報は大半療養型の病院でした。でも何件か回っている時に行った先のソーシャルワーカーさんに、普通の病院では?といくつか情報をもらって方向転換をして普通の病院にお願いしてみた所3件ものいい返事をいただけました。その内2件と面談をして一番家の近所だった津田沼中央総合病院に受け入れてもらう事にしたのです。
翌年(昨年)の1月の中旬、父は津田沼中央総合病院に転院しました。悲しいかな移る直前に感染症にかかってしまい、個室のみ受入可だったのでとても高い差額ベッド代を支払うハメになりましたが、それでも介護研修をするには広々としてよかったのかもしれません。
オムツ替え・体の清拭・体向の仕方・インシュリンの打ち方・胃ろう(胃に直接穴を開けて食事を流し込む口)からの食事の仕方などなどおぼえる事はたくさんありましたが、何より難しかったのが、痰の吸引でした。口と鼻から両方吸引するのですが、鼻からが入らないのです。あせればあせるほど入らず、その間父は痛い思いをすると思うと余計にあせるという状態で、これは退院しても数カ月はドキドキでしたが、今はなんとか慣れました。
そして昨年の今日、父はめでたくうちの近所に越してきた姉の家に戻ってきたのです。
津田沼中央総合病院には今でもお世話になっています。往診してもらったり、系列の訪問看護ステーションから毎週看護婦さんを派遣してもらったりしていて、今にして思えば遠くの療養型の病院よりここにお願いできたのは本当にラッキーだったと思います。
現在はヘルパーさん・お風呂屋さん・訪問看護婦さんが交代でほぼ毎日来てくれて、一度だけ病院に運びましたが、状態は安定しています。
しかし悩みはつきません。うちの父は看護婦付の場所でないとデイサービスやショートスティは受け入れてもらえません。要介護5、身体障害者1級なので重症なのですが、重症程受入先がないという、今の介護の現状なのです。
基本24時間誰かがいなくてはいけないので、姉は家を空ける事はできず、仕事なんてとても無理です。
先日1年目にしてショートスティをやっと体験してきました。なんでも長く入所している方が病院に入院されたのでベッドが空いたからという事なのですが、次はいつあるかはわかりません。
私は日に3回、自転車で通っています。姉程ではないものの、自由のきかない状態を過ごしています。しかし合間をぬってあちこちに出没するようにしています。そうしないと、心の余裕がどんどんなくなっていくのです。
そんな私の近況です。
このブログも放置気味で、来ていただいている方々に申し訳なく思っています。
今後もこんな状態で細々と更新していきます。
これからも『温順通信』をよろしくお願いします。
今さらペンギングッズを紹介してもすぐ来月なので、お正月に書こうと思っていた私の近況を長々と綴ってみます。
とにかく長いです。
尚、これに関してコメントはなしにしてくださいね。
当たり前に自分でも言っていた一言が結構頭に来たりするという事を始めて知りました。
今でもかけて欲しい言葉はなんなのかわかりません。難しいものです。
私の父が小脳梗塞で一昨年の10月倒れました。
最初は耳が聞こえづらいだけで声も出ていたのですが、どんどん声も出なくなって次の日には口から下が全て動かなくなりました。
いままで父は、脳梗塞・心筋梗塞や糖尿病といろいろな病気をこなしてきたのですが、それでもいつも復活して一緒に旅行に行ったり飲んだりしていたのです。
今回も元に戻るのではないかと期待をしていたのですが、期待むなしくとうとう寝たきりになってしまいました。
倒れた当初は某港区にある有名病院に入院していました。
父は心臓と糖尿をこちらの病院にかかっていたので運んでもらったらしいのですが、大きくて評判の良い病院だからといって対応がいいとは必ずしも言えないものですね。
ただ、どこの病院でも対応は同じだったと思います。
なぜなら好転する見込みがなく、居座られてもお金が取れない、病状的に厄介な患者だったからでしょう。
病状が不安定の状態で追い出しにかかられました。
あまり急がなくてもいいと言いつつ看護婦には2、3日毎につめよられ、ひどい言いように私は何度も泣きました。
まぁとてもいい看護婦さんもいたから人によりけりなのかなとは思いますけれどね。
某港区にある病院の愚痴はさておき、父の今後は決まっていました。
姉が仕事を辞めて私の家の近所に引っ越して父を看ると言ってくれていたのです。
しかし全てが初体験で、介護法を教えてもらわなければ家に連れて帰って来られる状況ではありませんでした。
そこで介護を教えてくれる転院先を見つける事にしました。私は病院に関して情報がないので、入院している先のソーシャルワーカーさんにリストアップされた場所を一つ一つ頭を下げてお願いしに行くのですが、父の病状が重いせいか、何件回ってもいい返事はもらえませんでした。当時は心底、途方にくれました。
いただいた情報は大半療養型の病院でした。でも何件か回っている時に行った先のソーシャルワーカーさんに、普通の病院では?といくつか情報をもらって方向転換をして普通の病院にお願いしてみた所3件ものいい返事をいただけました。その内2件と面談をして一番家の近所だった津田沼中央総合病院に受け入れてもらう事にしたのです。
翌年(昨年)の1月の中旬、父は津田沼中央総合病院に転院しました。悲しいかな移る直前に感染症にかかってしまい、個室のみ受入可だったのでとても高い差額ベッド代を支払うハメになりましたが、それでも介護研修をするには広々としてよかったのかもしれません。
オムツ替え・体の清拭・体向の仕方・インシュリンの打ち方・胃ろう(胃に直接穴を開けて食事を流し込む口)からの食事の仕方などなどおぼえる事はたくさんありましたが、何より難しかったのが、痰の吸引でした。口と鼻から両方吸引するのですが、鼻からが入らないのです。あせればあせるほど入らず、その間父は痛い思いをすると思うと余計にあせるという状態で、これは退院しても数カ月はドキドキでしたが、今はなんとか慣れました。
そして昨年の今日、父はめでたくうちの近所に越してきた姉の家に戻ってきたのです。
津田沼中央総合病院には今でもお世話になっています。往診してもらったり、系列の訪問看護ステーションから毎週看護婦さんを派遣してもらったりしていて、今にして思えば遠くの療養型の病院よりここにお願いできたのは本当にラッキーだったと思います。
現在はヘルパーさん・お風呂屋さん・訪問看護婦さんが交代でほぼ毎日来てくれて、一度だけ病院に運びましたが、状態は安定しています。
しかし悩みはつきません。うちの父は看護婦付の場所でないとデイサービスやショートスティは受け入れてもらえません。要介護5、身体障害者1級なので重症なのですが、重症程受入先がないという、今の介護の現状なのです。
基本24時間誰かがいなくてはいけないので、姉は家を空ける事はできず、仕事なんてとても無理です。
先日1年目にしてショートスティをやっと体験してきました。なんでも長く入所している方が病院に入院されたのでベッドが空いたからという事なのですが、次はいつあるかはわかりません。
私は日に3回、自転車で通っています。姉程ではないものの、自由のきかない状態を過ごしています。しかし合間をぬってあちこちに出没するようにしています。そうしないと、心の余裕がどんどんなくなっていくのです。
そんな私の近況です。
このブログも放置気味で、来ていただいている方々に申し訳なく思っています。
今後もこんな状態で細々と更新していきます。
これからも『温順通信』をよろしくお願いします。
- [2011/02/25 08:15]
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